下手の道具立て

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...... 2014年07月04日 の日記 ......
■ さうして食ひつめものの商人は   [ NO. 2014070401-1 ]
さうして食ひつめものの商人は門司、佐世保、大牟田などの新らしい繁華を慕ふて奔り、金齒入れた高利貸は朝鮮にゆき、六騎の活氣ある一團は六十餘艘の小舟に鮟鱇組の旗じるしを翻へしながら遠洋漁業の途にのぼるかして、わかい子弟の東京へゆくものさへ、誰一人この因循な故郷に歸らうとはせぬ。かやうにして街に殘されたものは眞菰臭い瀦水に釣を好む樂隱居か、ただ金庫の前に居眠りをして一生を過ごすあの蒼白い素封家の John‐John(良家の息子、やや馬鹿にしていふ言葉である。)かで、追ひ追ひに舊家は廢れ、地方の山持、田地持の類も何時しかに流浪の身となつたものが多い。母の家も祖父の沒後よく世にある例の武士の商法とかで、山林に手を出し、地方唯一の名望家として政治屋にまた盛に擔ぎ上げられたが爲めに瞬く間に財産を傾け盡くして、今はあの白い天守の屋根に屋根の艸が秋毎に赤い實をつくる外には、廣い屋敷は見るかげもなく荒れはてて了つた。加之、火災後の長い心勞と疲憊の末、柳河の「油屋」として、九州の古問屋として數代知られた舊家も遂には一家沒落の憂き目を見るやうになつた。
御茶ノ水 歯医者

 


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