だが、そう言ってしまっては話にならぬ。また、味を解する者はないと言っても、まるっきり味が分らぬということは実際にはないのだから、一応は腹を減らせと言ってみるが、そこにはだんだんと道がある。味が分らねば分らないなりに、やはり、好き嫌いがあり、嗜好があり、まるっきり打ち捨てたものでもない。 先日、ラジオで病人料理というものを放送していた。病人料理などというものは、いわゆる薬食いであるから、本来の意味での料理ではない。だが放送に当って、これがたいへん美味いものだから一般の人にも召し上がれる、という自画自賛の言葉が付け加えられていた。 私には異議がある。 この時の料理は、自然薯をゆで、別に枝豆もゆで、これを摺り潰してまぶし、多少の味をつけたものであった。言わば、自然薯のきんとんの外皮を体裁よろしく枝豆で色どったものである。青味が足りなかったら、菜を少し加えてもよい、というようなお愛嬌も加わっていたが、もちろん、どう考えたところで本格的な料理にはなっていない。それを一般の人が召し上がっても美味いと言う。 三鷹 歯科
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